べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。

浪漫と怖い話のお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

この記事はもともと夏に書いたものなんだけどね。焼き増しするとこういうことが起こってしまうよね。とはいえ来年の夏まで取っておくと忘れちゃうからこのまま進めますね。

夏といえば? 柳沢慎吾野沢直子稲川淳二……。
今回はそのうちの稲川淳二のテリトリー、怖い話について考えてみましたのでお付き合いいただければと。
あ、怖い話の話をするだけで怖い話はしないのでご安心を。

自分でもちょっと忘れがちなんだけど、漫画や音楽や野球やらお笑いやらコーラやなんやらと並ぶように僕を構成するもののひとつとしてあるんですよ。怖い話。
稲川淳二氏のツアーも何度か観に行ったり、テレビで怖いやつやってたら優先的にそっちにチャンネルを合わせたりするのですよ。
怖い話といっても怪談や心霊現象の類から都市伝説、UMAやUFO、その他諸々の謎? だったりなんだりまで様々です。まあ平たくいえばオカルトだよね。
ではなぜ、僕は怖い話に惹かれるのか。これは友人にもたびたび訊かれることなんだけど、もともとは高校時代の眠れない夜に、携帯電話で某巨大掲示板からネットの隅の隅のほうの落書きみたいなものまでをオールジャンルにコピペして共有するみたいなサイトがあって、それがまた投稿形式なので結構な記事数があり、さらに任意の記事にランダムで飛べる機能もあって 眠くなるまで暇つぶしに重宝してポチポチしてたのね。
ジャンルは問わずにただ面白い記事をコピペするだけのサイトだったから当たり外れあって、外ればっかり引くとどんどんと眠れなくなっていくという悪循環があったり、当たりばっかり引くと楽しくてどんどん眠れなくなっていくという悪循環があったりもしたんだけど、その中で僕の目を引いたのが怖い話、オカルトだったわけですよ。
正確に言えばもっと前からその辺の分野に興味があって、だからこそ目を引かれたんだろうけど、まあきっかけはそんなところなんですよ。

きっかけはそんなところだけど、では怖い話のなにがいいのか。
そうだなあ、例えばお笑い、漫才なんかを見る時は笑いを、面白さを求めてるわけじゃん。野球とか音楽だったらプレイを見てすごいなあと感心したり感動を得た り、たまに怒りやかな悲しみをがあったりするわけじゃん。漫画や小説、映画諸々だったらその両方だったりするわけじゃん。コーラだったらおいしいじゃん。
そういう、『感情を揺さぶる』もののひとつとしてあると思うんですよ、恐怖って。だから僕の中ではベクトルは先に述べたいろいろな趣味興味と一緒なわけなんですよ。
単純に読み物としても面白いのもあるしね。

そんな理由で怖い話を見る、聞く、読む僕ですが、じゃあ幽霊とかって信じてるの? って訊かれれば、「99%いない」と答えます。そう思ってます。残りの1%は浪漫です。
なぜそう思ってるのかというと、単純に僕は幽霊を見たことないからです。友人に見えるっていう人が何人かいるけど、僕自身は見たことないからです。頑なに。
だから怖い話をいくら見ても99%はフィクションだと思って見てます。残りの1%は浪漫です。小さい頃のいろいろで、そういうことにはちょっと落ち着いた目で見てしまうというか、あわよくば揚げ足を取ってやろうと思ってしまうので、幽霊のいるいないに関しては割とドライなのです。
それでも何で見るのかというと、やっぱり単純に面白いからなんですよ。

 

例えば怖い話でトップクラスに有名な話として『八尺様』というお話があります。
掻い摘んで話すと、筆者が祖父母のいる実家に帰って軒先でぼんやりしてるとやたらとでかい女の人を見てしまい、その人に魅入られて実家を舞台に霊的な攻防を繰り広げて命からがら村から脱出するという、ホント掻い摘んで話すとこんな話です。べらぼうに面白いから読んだことない人は是非読んで欲しいんですが、このほかに『リゾートバイト』だった り『リアル』だったり、似たテイストの話が多いんですね。
その地域に古くから伝わる悪霊に魅入られて、それを身内や関係者に話すと態度が豹変して、拝み屋を連れてきて、長い時間ナムナムと闘って、条件(もうこの地域には近寄るなとか)付きだけど、なんとかなるっていうテイストの話。

ざっくり言えば、流行ってたんですね当時(2008~2009年頃)。そうなると、霊現象に流行りなんてあるかーい! と、突っ込んでしまいたくなるんですね。いや、面白いんだよ? 『リゾートバイト』も『リアル』も。でも、真冬のように冷めた目線で見ると「ああ、流行ってたんだね」となってしまうわけなんですよ。面白いことには変わりないけどね!
そのちょっと後に異世界に迷い込んでしまった人の話とか流行ってたよね。そうすると「ああ、流行ってたんだね」って思ってしまうよね。異世界系も面白いけど!

そもそも幽霊というもの自体も、人間の警戒心が生み出したもので、原始の時代から暗闇の中から猛獣が出てきたらどうしよう。だとかそういうことに神経を使ってきた「暗闇の中にいる天敵への恐怖心」というものの名残が、この現代社会で暗闇そのものが少なくなり、猛獣に襲われるリスクも少なくなり、その「暗闇の中にいる天敵への恐怖心」は「暗闇の中にいるよく分からないものへの恐怖心」になり、やがて幽霊という実体のないものが代替品として使われるようになっただけなんですよ。

心霊写真だって昔々、亡くなった身内をわざと自分の写真の肩口に合成して「死んだ今でもついてくれているんだな」と悲しみを和らげるために使われていたのが大本だとも言われていて、そこからどんどんと派生していった今では完全に意図せず霊魂を写してしまったものが心霊写真と呼ばれるようになってしまってますよね。それだって、目と口(のようなもの)があればなんとなく顔だと認識してしまう人間の性質の成せる業ですよね。

つまりは、「よく分からないもの」を幽霊の仕業だとか幽霊そのものだということにすれば、腑に落ちるわけですよ。
面白い話で、幽霊よりも「よく分からないもの」のほうが怖いんですよね。
幽霊の仕業にしてしまえばお払いをしたりその場所から離れるようにしたりと、次の行動がとれるからそうしているというだけで、ちゃんと突き詰めたらちゃんとした理由があることがほとんどだと思うわけですよ。
だ! か! ら! 僕は以上の理由から幽霊絡みの怖い話は、「ただの作り話」と「幽霊の仕業にしてるけど突き詰めていけばちゃんとした理由がある話」の2つで99%を占めていると思っているのです。言わずもがな残りの1%は浪漫です。

さて、ここまで理論的にガチガチに固めるのは、もちろん怖いからです。怖いのを理論で誤魔化してるんです。
そしてここまでして、怖いのを誤魔化してまで怖い話を読みたい聞きたいのは面白いからです。
面白いのは、感情を揺さぶられるから。そして、残りの1%の浪漫があるからなんです。

ああ! うまいこと締められた!

それでは。