べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。長文を書きたいお年頃。

さらっとしっかりのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

カルテット、最終回から1週間ちょっと経ちましたね。

普段あまりドラマとかを観ないのですが、好きな松田龍平が珍しくテレビドラマに出るからと気になったので観ていたのですが、まんまとハマって、後追いなどではなく第一話から毎週楽しみに観たドラマって久しぶりのような気がします。

観てみた感想としてはシーンや掛け合いの一つ一つが見逃せない行き届いた作品だったなあと思いました。全部振り返ってるとキリがないので、最終回を主に振り返ってみたいと思います。

 

最終回は色々な「対比」が詰まってたんじゃないでしょうか。

1話の車で別荘に向かうシーンの再現のようなシーンでは声の小さい真紀さんとは真逆の元気な女の子を乗せてたり。

美容室をクビになってからノクターンでのバイトが決まるまで何もしてなくて養ってもらう気マンマンだった家森さんがあんなに難色を示していた割烹料理屋(になったのくた庵)で週7で働き、板前修業を始めるとまで言い出したり、毎朝二度寝をしていたぐうたらなすずめちゃんが資格取得を目指して徹夜をするようになってたり、唯一勤め人であった別府さんが会社を辞めていたり。そのギャップが真紀さんがいなくなったことによる歪みのようなものが読み取れたり。

逆に1話と同じことを、例えば唐揚げを囲んでのかけ合いという、同じことをしているのに意味合いが変わって見えるという演出。先日のけものフレンズの最終回でもありましたが、1話での言動を用いて最終回までの成長や変化を見られるのはいいよね~って思ったりしてました。

 

また、「なぜ音楽を続けるのか」という手紙の送り主との対比。元々、4人だってあのカラオケボックスで偶然出会っていなければ音楽をやっていこうと思わなかっただろうし、もしその送り主もその偶然に巻き込まれていたら……というか、もし出会っていなければという対比ですかね。

「自分の中のキリギリスを殺し」て、送り主の言う「正しい選択」をすれば、スパッと諦めて板前修業をしていれば、資格を取ってキャリアアップしていれば、現在の自分から変わってしまえば、正しい人生やもっといい人生が待っていたかも知れない。それの極端な例がアリスちゃんだったように思います。でもそんなこと関係ないと歩み続けるという選択をした4人。

でもその4人はダメなままではない。ちゃんと唐揚げを小皿に取ってレモンをかけられるようになったし、これからはサンキューパセリを言えるようになるでしょう。世間の言う「正しい選択」をしていなくても、ちょっとずつでも前に進んでいけばいいんだよ。というお話なのだと僕は思いました。

 

お話の作り方に関して、毎回冒頭でその回のテーマと言える様なことをさらっと乗っけるスタイルが印象的でした。最近よく言ってる縦軸ってやつですよね。なんかで使いたいものです。

さらっとといえば割と物語の重要であるような事柄をさらっと、些細などうでもいいようなことをじっくりと表現してますよね。物語最大の嘘である真紀さんの正体でこれでもかと引っ張ったかと思えば次の週の序盤であっさり真紀さんの本名や本物の早乙女真紀を出してきたり。かと思えば家森さんのいちゃもんにたっぷり時間を使ったり。でもその部分がその回のテーマにしっかり刺さってたりと、ここでもドラマとしての「正しい選択」から外れている作り方のように思えてちょっとフフンと笑っております。

 

ついでなのでもう一回触れておこう。けものフレンズもそういう作り方してた気がしませんか? 重要な(でも薄々分かっていた)かばんちゃんの正体をさらっと明かしたかと思えばフレンズたちとの触れ合いをしっかり描いていたりして。同時期に似たようなスタイルの作品を観ると嫌でも意識しちゃいますよね。なんかで使いたいものです。

 

それでは。