べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。長文を書きたいお年頃。

漫才の華とクセツッコミパンデミックのお話。

 

漫才の華といえば何でしょう。ボケでしょうかツッコミでしょうか。

 

僕はボケだと思っています。個人的に。ツッコミはあくまでボケへのリアクションであり、訂正であり、観客とボケの人の持つ世界の架け橋であるべきというのが僕の考えです。

これは僕のお笑いの入り口が吉本新喜劇で、その中でのツッコミが全体の進行をスムーズにさせる舞台回し的な役割だったからだと思います。ツッコミは添えるだけ。

 

しかし近年ツッコミが主体、メインを張った漫才師が増えてきたな~と感じているんです。最近のブレイク芸人で言えば豪快などつき漫才で世に出てきたカミナリ。カミナリと同じくグレープカンパニー所属の若手で、備中神楽の囃子ことばを活かしたツッコミが特徴的な東京ホテイソン。あんまりイメージとは違うものの、三四郎もツッコミの小宮がメインの漫才ですよね。銀シャリ学天即も正統派と言いつつもツッコミが引っ張るスタイルです。

ではそれはなぜ増えたのか。今回はそんなお話です。

 

とはいえ、僕がツッコミは添えるだけ教というのはあるのですが、まあそれはそれとして、ツッコミ主体であろうとどんどん肯定していこうと思うよ。このブログって(いつからか)そういう趣旨だし。

 

なぜ増えたのか、まずは先人からの影響。とは言ってもその歴史はそれほど深いものでもなく、80年代序盤の漫才ブームでのB&B、ツービート、紳助・竜介やすしきよしなどはむしろボケが先導していくスタイルで、ツッコミばかりを集めてうなずきトリオというユニット(島田洋八ビートきよし松本竜介の3人を集めるとうなずいてばかりの漫才になるという由来)を結成するほどでした。

 

そんな中、ツッコミが先導する漫才としてまず出てきたコンビといえば中川家でしょう。中川家のこのスタイルはボケの剛がパニック障害を患った際に「横におるだけでええから」と2人で舞台に上がり、ツッコミの礼二がほぼ一人で漫談をしていたという時期があったらしく、そのうち剛の調子がいい時に漫談の横から茶々をいれるようになっていったのがそのまま現在の漫才スタイルになったという言わば副産物的なもので、新しいことを狙ったものではなかったのですが、そのスタイルで第一回のM-1で優勝すると共に全国区になっていきました。

またM-1で脚光を浴びたツッコミ主体の漫才といえば2004年の南海キャンディーズで、山里の独特のワードセンスで切り込むスタイルは多くのフォロワーを呼んだはずです。

同じく2004年のM-1でいえばタカアンドトシ。こちらは南キャンとは違い、既にオンバトなどでその実力を見せていましたが、「欧米か」をはじめとする同じフレーズを繰り返してツッコむスタイルは新しく、コンビを代表するフレーズになりました。

 

この2000年代序盤には漫才の他にも、三村の「○○かよ!」というフレーズで脚光を浴びたさまぁ~ずや、上田の多種多様な例えツッコミでスターダムを駆け上がったくりぃむしちゅーなど、第一次クセツッコミパンデミックが起こったのです。

この印象的なツッコミが多くあふれた時期、もしくは浸透しきった後に結成されたことを考えれば、何も意識はなくともツッコミ主体になっていくのも不思議ではないでしょう(※1)。

 

そしてもう一つは、ツッコミのキラーフレーズを持っていると、バラエティやライブなどの平場で重宝されるからです。

最近で言えばバイきんぐ小峠の「なんて日だ」、千鳥ノブの「クセがすごい」など、印象的なフレーズで頭に残りやすく、フォーマットが完成されているのでガワだけ取り替えれば即興のフリでも対応しやすいのが強みです。それだけ重宝されていれば「なんだか最近クセツッコミ多いなあ」と思ってしまいます。「耳キーンなるわ」とか。

そんなお笑いの荒波の中を印象的なツッコミを持って漕ぎ出でた芸人たちの姿が、現在のツッコミ主体漫才なのでしょう。

言わばこの世は第二次クセツッコミパンデミックとも言えるのではないでしょうか。

 

さて、クセツッコミパンデミックというよく分からないワードが生まれてしまいましたが、適当にまとめたとこからその場その場でいろいろ調べつつ組みあげていったらそんなことも起こるでしょう。思ってたよりも壮大な感じになったし。

……うーん本当はツッコミは添えるだけがキラーフレーズだったはずだったんだけどな。おかしいな。

 

それでは。

 

 

※1 確か三四郎のツッコミ主体のスタイルはサンドウィッチマンの漫才に影響されたと話しており、そのサンドウィッチマンバカルディ(後のさまぁ~ず)に影響されたとか。おお、あながち間違いでもないじゃん?