べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。

バチバチとありがとう品川のお話。

 

そう、アメトーーク『ありがとう品川』を観たんですよ。

品川への感謝を語る1時間のはずが、品川に感謝を伝えたいはずのポンコツ弁護団が敏腕検事バカリズムに気圧される展開や、外ロケのインタビューで8割近い人が品川を知らなかったり散々ながらオイシイ内容だったと思います。それにしても弁護団が輪をかけてポンコツ揃いだったのはキャスティングを見た時点でなんか面白かったよね。

 

とまあ最近は嫌われキャラを受け入れて開放することで露出も増えつつある気もするが、未だにウン連休と自虐的に話すとおりいまいちロンハーとアメトーークの外まで響いてないというのが印象ですかね。

 

そんな品川さん、ひいては品川庄司のことを僕は昔から大好きで、いや本当だって、調べりゃ分かるよ。本当だよ。今でこそマヂカルラブリーのことを贔屓しているこのブログだけど、こと漫才に関しては品川庄司に勝るものはいないとまで思っているんだ。それほどすごかったんだよ、あの頃の品川庄司は。それこそ嫌われるほど調子に乗っちゃってもおかしくないほどに。

 

僕が品川庄司を初めて知ったのは、何度も登場している『爆笑オンエアバトル』。品川庄司は7戦6勝と思ってたよりも出てないんだね。それでも心酔するほどの魅力があったってことですよ。特に「ラブストーリーは突然に」を使用した痴話喧嘩のようなネタは、個人的漫才史に燦然と輝いている。

当時は何度も言うし言われている通り当時の品川はバチバチに尖っていて、それには及ばないまでも庄司もなかなかに尖っていた。それがしゃべくり漫才にも発揮され、NHKの『笑あがき*1』で庄司が若手芸人にアドバイスした「もっとツッコミが本気がウザがるくらいボケが攻めたら面白くなる」というのは、まさに品川庄司の漫才そのものだった。

そんなバチバチの漫才が、僕は大好きだったというわけですよ。

 

もちろん、それは僕にばっかり刺さっていたわけではなく「西の中川家・東の品川庄司」と称されるほどで、品川がツカミの持ちギャグ「品川ですっ☆」(例のポーズ)をしたならば会場が黄色い歓声で包まれる人気っぷり。オンバトの第3回チャンピオン大会ではトップとボール2個差の準優勝という、人気・実力共に最高潮。深夜に初の冠番組も始まり、デビューから5年で順風満帆と言える内容だったのが2001年。

 

その冠番組が半年で終了したあたりからその勢いに陰りが見え始め、並び称された中川家が初代優勝者となった「M-1グランプリ」には参加したりしなかったりで準決勝止まりが続き、ラストイヤーでようやく決勝進出した2005年でもファイナルラウンドに1歩及ばぬ4位。

この時のネタは一時期のバチバチというよりかは円熟味を感じさせる漫才で、その冒頭で噛んでしまってからツッコミは辞めたと前述の『笑あがき』で庄司が言っていたが、その言葉通りテレビで漫才を披露する機会が激減。そしてこのあたりから庄司がどんどんおかしくなっていく。

 

2007年に有吉が再ブレイクするキッカケとなる通称「おしゃクソ事変」に前後して品川ヒロシ名義で小説など書籍の発売や映画監督にも挑戦するなど芸人以外の分野に進出したが、それに反してテレビでの露出はあきらかに減っていた。

2012年、その異分野での活動に「あの尖ってた頃の品川はどうした」と東野幸治にイジられるアメトーーク「どうした!? 品川」*2にて今回の「ありがとう品川」と同じく丸坊主にしたあたりから、嫌われ芸人を受け入れたように感じられる。

 

今回の「ありがとう品川」でもジャンポケ太田へのアドバイスが挙げられていたようにお笑いに対する美学・戦略を持っている人なので、これを機にもう一華咲かせてまたもう一度あの頃のバチバチの漫才をやって欲しいというのが僕の感想と、密かな願いである。

 

なんだか年表みたいになってしまったけど、それだけずっと品川庄司が好きだったという感じに受け取っておくれ。

それでは。

 

*1:詳しくはこちらで。

colapoly.hatenablog.jp

*2:東野仕切りの括りでは同じく「帰ろか千鳥」があり、どちらも取り上げられた芸人のターニングポイントになっているように思える。来年あたりにダイアンも取り上げるんじゃないかと密かに予想している。