べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。

フライドポテト難民のお話。

 

誰が言ったか知らないが、人は私をこう呼ぶ。「フライドポテト難民のジロウ」と。

世界広しといえど、僕ほどのフライドポテト難民というのは少ないだろう。今回はそんな僕のフライドポテト難民の歴史を振り返ろうと思う。

 

僕が初めてフライドポテト難民に陥ったのは中学時代のある日だ。当時の僕は近所のショッピングコートの本屋に漫画を買いに行っては、同じコート内にあるイートインスペース的な所で売られているフライドポテトを買って帰るのが日常だった。

しかし、突然その日は訪れた。予告もなく、そのイートインスペースが閉店してしまっていたのだ。

こうして、ヤマグチジロウのフライドポテト難民としての歴史は始まった。

 

次のフライドポテト難民は、その傷も癒えはじめた高校時代。その頃の僕はバンドに明け暮れる傍ら、それ以外の土日はほぼ決まって特定の友人と隣町へ遊びに出かけていた。同じ友人と、同じ場所へ、同じルートで回るその中にまたもやイートインスペースがあり、そこで昼食を摂るのもお決まりになっていた。

そこでは僕は専ら焼きそばとフライドポテトを注文するのが、やはりお決まりだった*1。しかし、そんな同じようで少しずつ違う日常さえもいとも簡単に崩れてしまう。

高校卒業を控えた冬のある日。僕と友人は「たまには別のルートに行ってみようか」と別の隣町に遊びに行ったり、僕がバンドのほうに行く週だったり、なんやら用事があったりで1ヶ月ほどお決まりのルートを回れない日が続いた。

そして久しぶりにお決まりのルートに遊びに出かけ、お決まりのイートインスペースでお決まりのメニューを食べようと足を伸ばしたその先には簡素な閉店の貼り紙が貼られたイートインスペースが待ち構えていた。

フライドポテト難民、再びである。

 

しかし、まあこの2つ程度ではまだまだ異常だとは思わない。最初のショッピングコートはスーパー部分が早くに撤退してしまい、残ったテナントがぽつりぽつりと消えていっていた場所だったので、言ってしまえばそういう覚悟はできていたし(ポテトとセットに通っていた本屋も程なくして閉店)、2つ目も田舎には似合わぬ大きく広々とした日用品ストアの一角にあったスペースで、僕が地元を離れてしばらくするとそのストア自体も無くなってしまったので「まあ、仕方ないか」感が大いにあったのでダメージは割と少なかった。

僕のフライドポテト難民はまだまだここからだ。

 

 

高校を卒業した僕は専門学校に通うために地元を離れ、広島県に住んでいた。

高校卒業の少し前に中学時代の同級生や後輩たちと会う機会があり、そのうち一人の後輩がかなりのフライドポテト狂だということを知った。そしてその後輩は「ローソンのフライドポテトが一番うまい」という情報を教えてくれた。曰く、「バレンタインデーにチョコではなくそのフライドポテトを持ってくる女子がいたら無条件で付き合う」ほどのフライドポテトだという。

そんな心ときめくフライドポテトを放っておくわけにはいかない。僕は専門学校の友人宅の近くにローソンがあるのを見つけると迷いなく店内のホットスナックのケースに入ったフライドポテトを注文して食べた。そのフライドポテトは噂に違わぬ絶品だったので、少し遠回りではあるが学校からの帰り道にたまに寄ってはフライドポテトを買って帰っていた。

ここまでのパターンでいくならその通っていたローソンが閉店してしまうといった展開なのだろうが、この時は少し違った。ローソンではなくあの絶品フライドポテトが店頭から姿を消したのだ。

ローソンが閉店しただけならなんとかして別のローソンで買えばよかったのだが、あろうことかフライドポテトそのものがこの世から消えてしまったのだ。

こうしてまた僕は思わぬ形でフライドポテト難民になってしまった。

 

時は流れ、僕はなんやかんやあって東京で暮らし始めた。

しばらくすると都会に居場所を求めたフライドポテト難民に朗報が舞い込んだ。「マクドナルドのポテト全サイズ150円」である。フライドポテト難民である前にコーラ好きであるところの僕にとってマクドナルドは「ある期間にLセットを買うとコークグラスがついてくる場所」として親しみがあり、既に近所のマックにはある程度通っていたので、このあつらえたかのような朗報には四の五のなく食いついた。

しかし、この150円は期間限定。しかもコークグラスのセットも時を経るごとに条件がややこしくなっていき、ついには無くなってしまった。同時期にそのマック近辺の書店が閉店したことから完全に足が遠のいてしまっていた。その後、フライドポテト150円の企画が再び始まり、「久しぶりにマックでも」と訪れたところ、マックまでもが閉店していた。

この辺りから「僕がフライドポテトを求めて行くところは、何かしらで無くなってしまう」ということに気づき始める。なんにせよ、遠く東京の地でも僕はフライドポテト難民になった。

 

そんな僕にまたもや朗報が舞い込む。ポッポという存在を耳にしたのだ。

それまで暮らしてきたエリアにはイトーヨーカドーがなく、ポッポというコスパ最強、フライドポテト難民のオアシスの存在を知らなかった。僕はやはりこの朗報を聞き逃さなかった。

上記のマック跡地と比べるとかなり歩くことになるが、フライドポテト難民にはそのくらい平気、へっちゃらだった。何よりイトーヨーカドーという巨大なバックが付いている心強さが、僕のフライドポテトライフを支えていた。

……存在を知ってから2年もたなかった。

このたび通っていたイトーヨーカドーからポッポだけが閉店していた。非常に、非情にシンプルだった。

そう、またしても僕はフライドポテト難民になってしまった。

 

そういう悲しみに暮れながらこれを書いているというわけです。かなしみブルー過ぎてエアーフライヤーでおじゃがを直接揚げてやろうかとも考えるものの、その場合僕のここまでのフライドポテトのお店絶対殺すオーラが一体どこに向かってしまうのかが気になって手を出せていない状態なんです。

 

あっ……へぇ、ジョナサンのフライドポテトってお持ち帰りできるんだぁ。

おわり。

 

*1:余談だが、ここの焼きそばに揚げ玉が入っていたことから、僕は焼きそばを作る際に揚げ玉を入れるようになった。