べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。

タイミングとコブクロのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

昔まだ僕が駆け出しのプリキュアだった頃の話だけど、学校の音楽室に1本古いガットギターがあったんだよね。ギターキッズだった僕としては、そいつを爪弾いて人々の眼差しを受けて景色を見下ろしてみたいわけですよね。
そんな時はだいたい同級生の石井くんが歌って僕がジャカジャカと演奏したりハモしたりしてたんだけど、曲の先導は石井くんだったのね。今考えるとだいぶおかしいけど石井くんが突然歌い始めた曲に僕が合わせないといけなかったんだよね。今考えるとだいぶおかしいよね。だって石井くんが再びまた歌うかどうか分からない曲を僕は頑張って覚えなきゃいけないんだからね。ちなみに石井くんとは地元のミュージシャンの路上ライブの幕間に何曲かやったり後にバンド組んだりする間柄でした。
まあそんな時代もあったねと笑って過ごしているわけなんですが、そのいきなり歌いだす曲のレパートリーの中にコブクロの「YELL~エール~」があったんですね。この曲、石井くんがイントロのギターの部分を「ドゥードゥンッドゥドゥンッ♪」と歌いだすので僕が「あ、コブクロやな」と弾き始めるパターンのやつだったのでとても印象に残ってます。だってギターの部分歌うんだよ?

そんなこんなで僕の思い出の中にもしっかりと刻まれており、今や知らない人もいないであろうコブクロですが、僕の駆け出し時代はまだまだ音楽好きに知られる程度の存在だったんですね。
その評価を一気に上げたのが、最強のシングルを作った際にも触れた「桜」ですね。
この「桜」、コブクロの結成のきっかけにもなった曲であるという話は有名ですが、それだけ初期の時代からある曲、しかもライブでの定番曲でありながらデビューから4年経った秋~冬という、なんとも不可解なタイミングでのリリースだったんですよね。当時、本人は「桜という花は蕾を蓄えて寒さに耐えながら冬を越す」といったようなことを言っておりました。
しかしこのリリース、かなり綿密に練られた作戦だったのではないかと僕は思うんです。

 

コブクロのメジャーテビューは2001年。ゆずや19、唄人羽らに次ぐネオフォークデュオとの触れ込みでデビューしたのですが、2001年といえばゆずは東京ドームでのライブ「ふたりのビッグ(エッグ)ショー」を成功させていたり、19は最後となるオリジナルアルバム「up to you」をリリースした年であり、既にそのブームからは少し遅れた形になってしまっていた。
だからという訳ではないだろうが、ファーストシングルの「YELL~エール~」でオリコン4位に入って以降はなかなか10位以内に入ることができない時期があったんですね。
転機があったのが2004年、「永遠にともに/Million Film」のリリースで3年半ぶりにTOP10に入ると翌2005年には「ここにしか咲かない花」がテレビドラマの主題歌に起用され、オリコン2位の大ヒット。その勢いの中リリースされたのが「桜」だったんですね。

そもそもこの「桜」、デビュー曲にするかどうかを「YELL~エール~」と争った曲でもあり、コブクロにとってとっておきの切り札だったに違いない。
コブクロ結成前にやり手の営業マンだったソングライター小渕健太郎はその経験と勘を生かし、4年間温めながらいつ出すかいつ出すかとタイミングを伺っていたに違いない。
前述のようにヒット曲が2曲続き、さらに森山直太朗河口恭吾に端を発する桜ソングブームなどもあり(これもネオフォーク同様、ブームから2年ほど経っていたのはご愛嬌)、機が熟したと判断した小渕は規格外に大きいでお馴染み黒田俊介に「そろそろ桜を出そうか」と切り出し、それに黒田はこう答えたに違いない。

「行くしかないだろう」

……
……はい。
これ がやりたいがために僕は長々とコブクロについて書いていたに違いない。
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それでは。