べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。

デザインとハリウッドザコシショウのお話。

 

ゴォス! 肌寒みぃでございまさぁ~ね~。

いやぁ、以前R-1で優勝した時は*1語ることは野暮と言ったハリウッドザコシショウですが、それから時が経ったことと最近YouTubeでザコシと虹の黄昏の動画ばかり見てるという近況(完全にどうかしてることは薄々分かっている)が僕をここに向かわせたのですよ。そういうことです。よろしくお願いします。

 

そんなハリウッドザコシショウの経歴ですが、コンビ・G★MENSとして大阪で活動。1999年に吉本からのリストラを受け上京。2002年にコンビ解散によりピン芸人に。

その後『あらびき団』に最多出演し「キングオブあらびき」の称号を得ると、2016年のR-1ぐらんぷりで奇跡の優勝を果たし、地上波での露出を増やすと『ドキュメンタル』2度目の優勝をした今年、また少しテレビで見かける回数が増えたような気がする唯一無二のストロング系芸人です。

 

長い間地下芸人として過ごしてきた彼ですが、その芸風は一貫しておりG★MENSの頃から奇声・モノマネ・オーバーアクションという現在のザコシスタイルは完成していたと言えます。また芸人仲間からの評価も高く、「教科書にはないお笑い」を見るために袖に集まる芸人も多くいたとのこと。今でいうインポッシブル的な立ち位置ですかね。

なので、時代が彼に追いついたという言い方をしてしまえば簡単なのですが、そんな簡単では済まされないような苦労や工夫が昨今のブレイクには隠されているのです。

 

まず、ここに至るまでに何度も廃業を考え、そのたびに「漫画家になろうと複数の出版社に持ち込みをしたところ、行くところ行くところで全然違う評価が返ってきてめんどくさくなったから」という理由で持ち直したり、同じ事務所になったバイきんぐと出会い「こんなにお笑いに熱い人がいるなら俺ももう少し頑張ろう」と思って考えを改めたというその後の二組の躍進を考えると胸が熱くなるような理由もあったりと様々ですが、あのハチャメチャなネタの裏にもいろいろドラマがあることを考えるとなかなか面白いです。

そして、『あらびき団』のレギュラー放送が終了するタイミングで自分を見つめ直し、当時は『あらびき団』でも多々披露していた「アシュラマン漫談」や「古畑任三郎漫談」などのひとつのキャラで押し切るスタイルから、ライブで披露していたモノマネ○連発をブラッシュアップさせたものを勝負ネタに変更。フリップをつけてワンクッションを置いたり「誇張をした」を付けることで分かりやすくした。そのお陰もあってウケが増えるも、この年(優勝する前年)のR-1は3回戦で敗退。

ここからのプラスワンが個人的に大好きなんですが、後輩芸人の言葉を取り入れ、それまで白ブリーフ一丁だった衣装を黒パンツに変えたところ見た目の受け入れやすさが格段に上がり、そのままの勢いでR-1ぐらんぷり初の決勝進出、圧倒的な差をつけて優勝となったわけです。

 

こう見てみるとデビューから一貫したクレイジーな芸風とは裏腹に、意見やトレンドを柔軟に取り入れたり、その見せ方の工夫をしているのが分かる。

特に「誇張をした」を付けて分かりやすくしたり、衣装を変えて見た目をキャッチーにしたりといった部分が大当たりをしているので、現在のハリウッドザコシショウの隆盛は「誇張をした」をつけるコピーライティングと見た目を変えるパッケージデザインによるデザインの勝利だったと言えるのではないでしょうか!

 

とまあ、ぜってえ本人はそんなこと思ってもないでしょうが、僕の中でのハリウッドザコシショウはセルフデザインによってスターダムを勝ち取った芸人なんですよ。あやかっていきてぇですなぁ。ゴォス! どもぉあざぁっしたぁ!

 

それでは。