べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。

プッツンといろいろあったのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

もう、何も言うまいね。いろいろあったんだから。間が空いたことなんてね。

 

や、でもいろいろあったことは事実なんですよ。先月はじめ頃からシウ漫画を描き始めてね。

※シウ漫画

yamaguchi-jiro.seesaa.net

4月いっぱいは主にこれの更新に費やしていたわけです。……というそれっぽい言い訳を残しておきましょう。

 

いろいろあったことの二つ目。なんと4月19日発売のミラクルジャンプに1ページ載りました。まだあるところにはあると思うのでチェックしてみてください。隣のページがジョジョ総集編の宣伝(しかもカラー)という、なんかちょっと嬉しい配置なので割と見つけやすいと思います。

 

いろいろあったといいながら、記事にしようというものはあまりなかった。というよりもそれまでの2、3ヶ月間で割と書きたいことを書ききってしまったというか、それまでの期間が今思えば異常に書いてたなと感じるほどに書いていたというのが正直な感想です。以前書いた小説を読むときの話にも共通してくるのだけど、やるときはガッとやって一度その糸がプッツンと切れるとまったくその物事に頭が使われなくなってしまうといった感じで、「~~を書いたぞ、次は何を書こうかな」という考えができなくなってしまっていたんですね。

それに加えて上記のいろいろあり具合だったのでどんどん優先順位が後ろへ後ろへ……といった感じになってしまったのが主な理由といった感じな感じですね。

 

というわけなので、これからも以前のように週2、3本書くようなペースははっきり言って無理なので、まあゆるゆるとお付き合いください。……月1、2本くらいは書きたいよね(フラグ)。

 

それでは。

 

ポイントとプレイリストのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

いやあ、間が空いたね。いろいろあってね。話題もなくてね。そしていろいろあったから今回の話題も本当ならば先週のどこかで書く予定だったんだけどね。後回し後回しになってしまったんだよね。

それに加えてシウ漫画の新しいのを更新し始めたからどんどん後回しになったよね。今となってはどうやって週にいくつも書いてたのか分かんないよね。

 

さてさて本題です。まずはこちらのツイートからご覧いただきましょう。

全ては我等がこばやん先輩のこのひとことから始まりました。

ここから僕を含む4人の精鋭によるプレイリスト合戦が繰り広げられたのです(詳しくは当ツイートのリプライの連なりをご覧ください)。

これ、やってみると非常に楽しいんですよね。特に僕なんかは野球好きなので、あたかも打順を組むかのように曲順を組み替えたりしている間にどんどんと時間が経っていってしまいますね。

 

前回の記事にも書きましたが、僕は何にしても考え過ぎてしまうタチなので、このプレイリスト作成に関してもとにかく考え過ぎてしまったわけですね。今回はその考えに考え抜いた曲群をひとつひとつ解説したいと思います。考えに考え抜いたものをただただ聞いて欲しい。それが今回の記事の内容というわけです。

というわけで特に「夜のドライブプレイリスト」「春はまだかプレイリスト」「お家へ帰ろうプレイリスト」の3つを取り上げましょう。

 

まずは夜のドライブをテーマにしたプレイリスト。

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リプライの連なりをちゃんと見た方は「おや?」と思うかも知れませんが、一旦こばやん先輩側に提出したプレイリストからまた新たに変更しています。全体的な流れとしては前半が夕暮れ感(二人のアカボシは夜明けの歌ですが)風味堂の「クラクション・ラヴ~」から東京スカパラダイスオーケストラ「星降る夜に」辺りからどっぷり夜になって、スピードを上げていって最後のサカナクション「ナイトフィッシングイズグッド」で穏やかに締める。といった感じですかね。

 

次はお家へ帰ろうプレイリスト。

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こちらは山崎まさよしの「お家へ帰ろう」を軸に全体的な流れはD.W.ニコルズの「あの街この街」、ミドリカワ書房の「銭湯の思い出」等のノスタルジックな雰囲気で流れ、帰りたい欲求を高めていき、capsuleの「レトロメモリー」からは本格的に帰り始める。そんなプレイリストです。

 

そして春はまだかプレイリスト。

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全体的に温かみ溢れる曲たちですね。これに関しては宇多田ヒカルの「光」が初っ端にドカンときて穏やかになる曲なので一番最初に持ってきたかったのですが、どうしても「春よ、来い」始まりの「春よ来るな」終わりをやりたかったのでこうなりました。流れとしては穏やかで温かみのある流れからエレファントカシマシ「桜の花、舞い上がる道を」でぐっと花開く、というプレイリストですね。

そして特にこのプレイリストに関してのミソは、コブクロの「ここにしか咲かない花」とスピッツの「ありふれた人生」なんですよね。なぜかというとコブクロには「桜」、スピッツには「春の歌」という春ソングがあるにも関わらずあえて外した曲なんですよ。そしてなぜこの2曲にしたのかというと、「ここにしか咲かない花」は「桜」の一つ前のシングル。「ありふれた人生」はアルバム「スーベニア」で「春の歌」の次に流れる曲。というわけで「春は近いぞ」というメッセージを込めた選曲なんですよ(とてもいいキメ顔)!

 

最後に、僕がプレイリストを組む時に意識していること、ですが。まあ仰々しい言い方ですが遊び心に近いものですね。それは、プレイリストの途中で流れを変える一曲を入れるということです。夜のドライブプレイリストでは「星降る夜に」。お家へ帰ろうでは「レトロメモリー」。春はまだかでは「桜の花、舞い上がる道を」。といった感じですね。

これがあるだけで、プレイリストを通して聴いていて「お、流れが変わったな?」というポイントができ、全部通すと40~60分ある曲群を飽きることなく聴けるというわけですよ。……本当のところを言うと個人的ににやにやしちゃう部分を作りたいだけなんですがね!

そんなこんなですが、やってみると面白いので今の気分をプレイリストにしてみてはいかがでしょうか!

……なんかこういう締めが多い気がするね。

 

それでは。

 

書き終わったあと実はタイトル考えるのに10分くらいかかってるのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

まあ~いろいろあるヤマグチジロウですよ。いろいろありすぎてしばらくここに書くのがおろそかになってしまっている状況ですが、いろいろあっただけではなくそもそも別段書くことがないっていうこともあるんですが、とにかくおろそかになってましたよね。事実としてね。

 

そもそも僕は文章書くのが苦手なんですよね。苦手というよりかは必要以上に考え過ぎてしまってめちゃくちゃ時間がかかるんですよ。

言葉の言い回しだとか前後の繋がりとかテンポのあれこれを必要以上に時間をかけてしまう上に、特にここに書く記事なんかではとにかく「言いたいことを全部詰め込みたい」精神が吹き荒れてどんどん前述の繋がりや言い回しが複雑化していって自分で自分の首を絞めてしまっているのが、ここへ書き込む僕の状況です。そもそも、口が達者なほうでもないしね。

 

具体的にどれくらい時間をかけているかというと、基本的にここに書く際にはだいたい1500文字を目安にしていて、実際それくらい書くと「お、そろそろ締めに入らないとな」と思っています。

それで毎回2時間くらいかかってるんですよ。もちろん集中力のない僕のことなので、途中でtwitterをダラダラ見てしまったり、マインスイーパーをポチポチしたり、書いてる途中でいろんな調べものをしてしまったりで時間を取られてしまっているということもあるのですが、やっぱりそれくらい時間がかかるものとなるというイメージがあるとやっぱりいざ「書こう!」と思った時に少し億劫になってしまうことがあって後回し後回しになっている面もあります。それでいて週に2、3回書けていることを考えると個人的にはよくやってるんじゃないかと思わないでもない。

 

特にどこに時間がかかっているのかを考えてみよう。

①まず「こういうのを書きたいな~」と思い立って思い切って書き始める。ここでだいたい最初の数行。

②その事柄の評判だの情報だのをガッツリ調べて自分の主観を照らし合わせながら「じゃあこう書こう」っていうのをいくつかピックアップする。

③そうしていろいろ書いているうちに「ここの言い回しどうしよう」とか「ちょっと流れが変な感じになってるな」とか考え始めて、カリカリし始めると集中力が切れて……あ、ここだな。ここで一番時間かかってるな。

④とまあなんとか言いたいことを詰め込んでみて、読み返す。ここで話の前後を入れ替えたり不自然なところを修正したりしています。それでいて誤字の多いこと多いこと。なんでああいうのってアップしてから気づくんだろうね。この現象に名前が欲しいよね。

とまあこんな感じです。書きながら気づいた通り、詰め込んでる間が一番時間取られてるね。ここでシュッと書ききれればもっと時間短縮できそうだけど、それができてたらそんなことにはなってないよね。

 

さあ、皆さんはもうお気づきかと思いますが、今回のお話はどことなく色がおかしいよね。足の裏のお話で試した画期的な方法をひとつ活用して、記事を書いて10分経つ毎に色が濃くなっていくという画期的な仕様にしてみました。時間を計っているからか、調べ物をする必要が少ないからかいつもよりだいぶ早いですね。妙な緊迫感があってtwitterを一切見てないしね。

じゃあこの方法で毎回計ってやれば早く書けるんじゃね? と思えど、体力がガンガン減っています。慣れないことはするもんじゃないよね。特に色を変えてる部分に付け足したり修正したりするのが憚られている時点で少しもやもやしてるし、いろいろとストレスフルです。ああ最初のほう勢いに任せすぎたぁ~どおりで結構文字数書けてるわけだぁ~。

 

いかがでしたか? 基本的にこのブログは僕が僕のためにいろんな物事への考えを書きまとめてそれ以上考えないようにするためのブログなので、こういう実験的な物もやってみたり。

ここまで書いてみて「やっぱりいつも通りが一番」と思い始めているので、これからも2時間かけて書こうと思います。だから皆さんも「また2時間かけたのか~」って思いながら読んでね。

 

それでは。

 

ノスタルジックといけにえと雪のセツナのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

いつぞやの話題に挙げて、小ネタの枠でも少し触れた「いけにえと雪のセツナ」ですが、ちょっと前にクリアしてそこそこのやり込みを終えました。というわけでストーリーには触れない程度に振り返ってみたいと思うよ。

 

まずはシステム面。戦闘システムはファイナルファンタジーシリーズやクロノ・トリガーで採用されているアクティブタイムバトル制。言わばスクウェアのお家芸ですね。僕はこのシステムRPGツクール4くらいでしか馴染みがなかったので最初は不安だったんだけど、コマンド中は時間が止まってくれるスタイルだったので焦らずにプレイすることができました(コマンド中もアクティブに設定できます)。

そしてこのゲームの特徴でもある刹那システム。行動やダメージなどで溜まるゲージを、行動の際にタイミング良くボタンを押すことで消費し、様々な追加効果が得られるシステムで、このゲームなりの独自性が出ていました。

戦闘にも関係してくる要素として法石の存在があります。これを装備することで技や魔法の使用だったり、戦闘に対応した効果も豊富で、強敵を倒す際や雑魚キャラを蹴散らす際の重要な要素となってくるのですが、複雑なものではなく、「これでダメだったから次はこれでやってみよう」という工夫が簡単にできたこともスムーズにプレイできた一因のように思えます。

 

次にストーリー。あらすじを見てみましょう。

▼『いけにえと雪のセツナ』ストーリー

 その島には、古来より伝わる習わしがあった。

 十年に一度いけにえを捧げ、魔物の被害を抑制する。このいけにえの儀式により、島の平穏は保たれてきた。

 ところが、次の儀式の年を待たずして、魔物の被害が急増し始めたのだ。

 事態を重く見た島の人々は、例外であるものの再度いけにえを捧げることで魔物たちを鎮めようと考えた。

 いけにえの名は“セツナ”。極めて高い魔力を持つ18歳の少女。いけにえの儀式が行われる“最果ての地”へ“セツナ”は護衛隊とともに旅立ってゆく――。

といった感じですね。ここからも分かるように主人公の一人“セツナ”が死ぬことを前提とした旅ということで、全編を通してどこか切ない内容となっております。さらに全編を通して雪に囲まれた世界観であったり、ピアノ一本で構成されたBGMであったりもこの作品の切なさを象徴してますよね。

それでも中盤での大きく動く展開や、終盤の物語の全貌が明らかとなる展開は「次はどうなるんだろう」という気持ちを増幅させ、中盤以降はついつい夜更かしをしてしまうような作品でした。

 

そして問題点。僕はVita版でプレイしていたのですが、このVita版のレビューで「処理落ちがすごい」というのが多かったんですよ。買ってからこの情報を知ってそわそわしながらのプレイだったのですが、確かにそのような箇所はいくつかあったものの、特に不快になるようなことはなく、むしろそれ以上に上記によるプラスの要素が多かったので問題はありませんでした。僕の処理落ちに対する耐性が高かったのかも知れないけどね。

 

総括。各方面で触れられている通り、古きよきRPGという言葉がしっくりくる作品でした。自由度は少ないながらも反復や工夫を苦にしないという点ではとてもいいゲームだったと思います。僕の中でラスボス前に「このキャラクタたちとの冒険も終わりなのかー」と思える作品というのが良作であることへのひとつの要素であるんだけど、ばっちりと心を掴まされました。ボリュームとしては最近の作品としては少なめなのかも知れないけれど、それでも満足度という点では十分なものでした。値段も普通のものよりも安めなので、気軽にオススメできるゲームです。昔のゲームのノスタルジックにまた出会いたい方、やってみてはいかがでしょうか。

 

それでは。

 

意識が途切れると小説のお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

一度なにかの弾みで意識が途切れるとそれまで熱を入れてしていた趣味や行動も一瞬で冷めてしまうこととか、あるよね。

昔々、ペットボトルのキャップのコレクションを趣味としていた時期があったんだけど、ある日キャップをジャバジャバ洗ってる時に「僕はなぜこんなことをしているのだろう」と、憑き物が落ちたかのように我に返ってそれ以降まったく興味を示さなくなったということがあってね。今思うと妖怪の仕業に違いないね。

そういうこともあった僕ですが、そのキャップの一件とは違って一定期間を経て熱したり冷めたりが繰り返されている分野があるんですよ。それが読書、小説を読むことなんです。

 

では、僕がどのくらい熱したり冷めたりしているのかを簡単に振り返ってみよう。中学校卒業する間際までは、漫画は読めど小説は全く読まない人生を歩んできたのだけど、高校受験の際に受ける面接の待機時間に、暇つぶしに読むための小説かなにかが必要ということで、近所(片道1時間)のTSUTAYAで文庫本を2冊買ったのが僕の小説人生の始まりだったんだよね。ちなみに、その待機時間に他校の生徒がウルトラマン読本を読んでて「やられた!」と思ったのはまた別のお話。

そんなこんなで人生(少なくとも自分で選んで買ったものでは)初めての小説を手にして読み進める僕だったのですが、その時点ではそこまで熱されることなく2冊買ったうちの片方の作者である本多孝好の既刊、当時はまだ片手で足りるほどの量だったその既刊を全部読んでしまう程度の熱され具合だった。

 

火がついたのが高校2年生の時。何を思ったのか突然、「夏休み中に30冊読もう」という、それまでそんな習慣がまったくなかった人にはあまりにも無謀な目標を立てたことから始まる。特に誰に言われたでもなく、影響されたでもなく、キャップの一件もそうだけど、始まりも終わりも唐突に現れるのだ。

 そんなこんなで夏休み期間中に読んだのは結局27冊くらい。それでも僕は「まあこんなもんだろう」と満足してそのまま熱は冷めていき、その後は前回と同じように当時まだ2、3冊しか出してなかった西加奈子の既刊を読む程度に収まった。なんか戦いを経るごとに仲間が増えてるみたいで楽しいね。

 

その後またしばらくはその2人の新刊を買っては読む生活で、なんやかんやで高校も卒業し、なんやかんやで昨年の春。この頃の僕はIngressを始めたばかりで、それまでだと自転車で移動していた距離を、スマホを片手に歩いて行くようになり、この時ものろのろと歩いて目指し行き着いたのは大きな書店。さっそく店内に入り漫画のコーナーを一通り眺めてみたものの、これといった目新しい品は無く、「なんだよ無駄足かよ」と心の中で悪態をつく僕。とはいえ、Ingressをまだ始めたばかりで歩き慣れてない僕は「せっかくここまで苦労して歩いて来たのだから何か買わないと釈然とせんぞ」と、小説の文庫本コーナーを物色した。そこで目についた一冊の本、森川智喜の「スノーホワイト」を購入。ゲゲゲの鬼太郎のかわいいブックカバーをかけてもらい、また来た道とは少し違う道のりを帰って行ったのでした(なんか後半のノリが女子のフェイスブックみたいだね)。

 

その小説がとても面白かったので、またIngress目的で見知らぬ土地まで歩いて行った際に寄った本屋でその作者の本を購入し、読む。これも面白い。そこで僕は「来た、久しぶりのブーム!」と思ったかどうかは覚えていないが、何年か前に「月に1000円分買って読もうキャンペーン」を企て、買ったはいいが2ヶ月ももたず企画が倒れ、読まずに積んでいた本をまずは片っ端から読んだ。2年3年経っても全然読み進められなかった本を1日で読みきった。もう1度言おう、始まりも終わりも唐突に現れるのだ。

そんな経緯で家にあるストックもすぐになくなり、今度は気になるものを片っ端から買っては読んだ。そうするうちに白河三兎や乾くるみなど、これは面白いと思う作家もどんどん増え、読む量もどんどん増えた。これは今までに無かった傾向で、自分が好きそうなものが分かるようになったということかな。そうして、それまで1年間に多くて2冊、下手すりゃ0冊だったの読書量が、半年で少なくとも50冊は読んだ。

 

半年で少なくとも50冊は読んだ。うん、読んだ。なんだ。そう、始まりも終わりも唐突に現れるのだ。今回は前までのように徐々に無くなっていくのではなく、本当に唐突だった。何の前触れも無く、ブッツリと本の続きが読めなくなったのだ。先の展開に興味が沸かなくなったとか面白くない本だったとか、そういったものではなく、突然読めなくなったのだ。試しに他の本で試してみても全くダメ。数行読むだけで精一杯といった症状。多分、これだけはいつになっても原因は分からないままなんだろうな。

 

という、山あり谷ありな読書人生を送ってきた僕ですが、今月に入って森川智喜の新しい文庫が出たので買って読んだのだけど、割とすんなり読み進められ、数日前に読み終わったところなんだよね。そこでこれは……と思い、突然読めなくなった本を探すも見つからなかったので仕方なく数行読んでギブアップしたもう一つの本を読んでみたら読める読める。本当、なんだったんだろうあの症状は。心の病だったのかな? 分からないなあ。

というわけでまたもやブーム、というには早いかも知れないけどそれなりに読んでいるこの頃です。

ちなみに僕の読書スタイルは寝っ転がって仰向けに読むスタイルなので、ハードカバーだと重くて肩が痛くなるし、本を掴んでいる手がページを掴めずバララララーッと閉じられてしまうことが多いので読むのは専ら文庫です。いかにベストセラーになったものでも文庫になるまで待つのが習慣になってしまっております。

 

とまあ、思ったよりガッツリ書いてしまったわけですが。実はこの記事、書き始めてから完成するまで1週間くらいかかっているのです。そう、足の裏のお話と5万RTのお話を跨いで書かれたものなのです。その2つの記事を書いてる間も書こう書こうと試みたのですが、なぜか分からないけれど意識が途切れたんだよね~。話題が話題だけに呪われてるみたいで気味が悪いよね~。

そんな感じのオチです。

 

それでは。