べっかん

ヤマグチジロウの諸々の別館。

ノスタルジックといけにえと雪のセツナのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

いつぞやの話題に挙げて、小ネタの枠でも少し触れた「いけにえと雪のセツナ」ですが、ちょっと前にクリアしてそこそこのやり込みを終えました。というわけでストーリーには触れない程度に振り返ってみたいと思うよ。

 

まずはシステム面。戦闘システムはファイナルファンタジーシリーズやクロノ・トリガーで採用されているアクティブタイムバトル制。言わばスクウェアのお家芸ですね。僕はこのシステムRPGツクール4くらいでしか馴染みがなかったので最初は不安だったんだけど、コマンド中は時間が止まってくれるスタイルだったので焦らずにプレイすることができました(コマンド中もアクティブに設定できます)。

そしてこのゲームの特徴でもある刹那システム。行動やダメージなどで溜まるゲージを、行動の際にタイミング良くボタンを押すことで消費し、様々な追加効果が得られるシステムで、このゲームなりの独自性が出ていました。

戦闘にも関係してくる要素として法石の存在があります。これを装備することで技や魔法の使用だったり、戦闘に対応した効果も豊富で、強敵を倒す際や雑魚キャラを蹴散らす際の重要な要素となってくるのですが、複雑なものではなく、「これでダメだったから次はこれでやってみよう」という工夫が簡単にできたこともスムーズにプレイできた一因のように思えます。

 

次にストーリー。あらすじを見てみましょう。

▼『いけにえと雪のセツナ』ストーリー

 その島には、古来より伝わる習わしがあった。

 十年に一度いけにえを捧げ、魔物の被害を抑制する。このいけにえの儀式により、島の平穏は保たれてきた。

 ところが、次の儀式の年を待たずして、魔物の被害が急増し始めたのだ。

 事態を重く見た島の人々は、例外であるものの再度いけにえを捧げることで魔物たちを鎮めようと考えた。

 いけにえの名は“セツナ”。極めて高い魔力を持つ18歳の少女。いけにえの儀式が行われる“最果ての地”へ“セツナ”は護衛隊とともに旅立ってゆく――。

といった感じですね。ここからも分かるように主人公の一人“セツナ”が死ぬことを前提とした旅ということで、全編を通してどこか切ない内容となっております。さらに全編を通して雪に囲まれた世界観であったり、ピアノ一本で構成されたBGMであったりもこの作品の切なさを象徴してますよね。

それでも中盤での大きく動く展開や、終盤の物語の全貌が明らかとなる展開は「次はどうなるんだろう」という気持ちを増幅させ、中盤以降はついつい夜更かしをしてしまうような作品でした。

 

そして問題点。僕はVita版でプレイしていたのですが、このVita版のレビューで「処理落ちがすごい」というのが多かったんですよ。買ってからこの情報を知ってそわそわしながらのプレイだったのですが、確かにそのような箇所はいくつかあったものの、特に不快になるようなことはなく、むしろそれ以上に上記によるプラスの要素が多かったので問題はありませんでした。僕の処理落ちに対する耐性が高かったのかも知れないけどね。

 

総括。各方面で触れられている通り、古きよきRPGという言葉がしっくりくる作品でした。自由度は少ないながらも反復や工夫を苦にしないという点ではとてもいいゲームだったと思います。僕の中でラスボス前に「このキャラクタたちとの冒険も終わりなのかー」と思える作品というのが良作であることへのひとつの要素であるんだけど、ばっちりと心を掴まされました。ボリュームとしては最近の作品としては少なめなのかも知れないけれど、それでも満足度という点では十分なものでした。値段も普通のものよりも安めなので、気軽にオススメできるゲームです。昔のゲームのノスタルジックにまた出会いたい方、やってみてはいかがでしょうか。

 

それでは。

 

意識が途切れると小説のお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

一度なにかの弾みで意識が途切れるとそれまで熱を入れてしていた趣味や行動も一瞬で冷めてしまうこととか、あるよね。

昔々、ペットボトルのキャップのコレクションを趣味としていた時期があったんだけど、ある日キャップをジャバジャバ洗ってる時に「僕はなぜこんなことをしているのだろう」と、憑き物が落ちたかのように我に返ってそれ以降まったく興味を示さなくなったということがあってね。今思うと妖怪の仕業に違いないね。

そういうこともあった僕ですが、そのキャップの一件とは違って一定期間を経て熱したり冷めたりが繰り返されている分野があるんですよ。それが読書、小説を読むことなんです。

 

では、僕がどのくらい熱したり冷めたりしているのかを簡単に振り返ってみよう。中学校卒業する間際までは、漫画は読めど小説は全く読まない人生を歩んできたのだけど、高校受験の際に受ける面接の待機時間に、暇つぶしに読むための小説かなにかが必要ということで、近所(片道1時間)のTSUTAYAで文庫本を2冊買ったのが僕の小説人生の始まりだったんだよね。ちなみに、その待機時間に他校の生徒がウルトラマン読本を読んでて「やられた!」と思ったのはまた別のお話。

そんなこんなで人生(少なくとも自分で選んで買ったものでは)初めての小説を手にして読み進める僕だったのですが、その時点ではそこまで熱されることなく2冊買ったうちの片方の作者である本多孝好の既刊、当時はまだ片手で足りるほどの量だったその既刊を全部読んでしまう程度の熱され具合だった。

 

火がついたのが高校2年生の時。何を思ったのか突然、「夏休み中に30冊読もう」という、それまでそんな習慣がまったくなかった人にはあまりにも無謀な目標を立てたことから始まる。特に誰に言われたでもなく、影響されたでもなく、キャップの一件もそうだけど、始まりも終わりも唐突に現れるのだ。

 そんなこんなで夏休み期間中に読んだのは結局27冊くらい。それでも僕は「まあこんなもんだろう」と満足してそのまま熱は冷めていき、その後は前回と同じように当時まだ2、3冊しか出してなかった西加奈子の既刊を読む程度に収まった。なんか戦いを経るごとに仲間が増えてるみたいで楽しいね。

 

その後またしばらくはその2人の新刊を買っては読む生活で、なんやかんやで高校も卒業し、なんやかんやで昨年の春。この頃の僕はIngressを始めたばかりで、それまでだと自転車で移動していた距離を、スマホを片手に歩いて行くようになり、この時ものろのろと歩いて目指し行き着いたのは大きな書店。さっそく店内に入り漫画のコーナーを一通り眺めてみたものの、これといった目新しい品は無く、「なんだよ無駄足かよ」と心の中で悪態をつく僕。とはいえ、Ingressをまだ始めたばかりで歩き慣れてない僕は「せっかくここまで苦労して歩いて来たのだから何か買わないと釈然とせんぞ」と、小説の文庫本コーナーを物色した。そこで目についた一冊の本、森川智喜の「スノーホワイト」を購入。ゲゲゲの鬼太郎のかわいいブックカバーをかけてもらい、また来た道とは少し違う道のりを帰って行ったのでした(なんか後半のノリが女子のフェイスブックみたいだね)。

 

その小説がとても面白かったので、またIngress目的で見知らぬ土地まで歩いて行った際に寄った本屋でその作者の本を購入し、読む。これも面白い。そこで僕は「来た、久しぶりのブーム!」と思ったかどうかは覚えていないが、何年か前に「月に1000円分買って読もうキャンペーン」を企て、買ったはいいが2ヶ月ももたず企画が倒れ、読まずに積んでいた本をまずは片っ端から読んだ。2年3年経っても全然読み進められなかった本を1日で読みきった。もう1度言おう、始まりも終わりも唐突に現れるのだ。

そんな経緯で家にあるストックもすぐになくなり、今度は気になるものを片っ端から買っては読んだ。そうするうちに白河三兎や乾くるみなど、これは面白いと思う作家もどんどん増え、読む量もどんどん増えた。これは今までに無かった傾向で、自分が好きそうなものが分かるようになったということかな。そうして、それまで1年間に多くて2冊、下手すりゃ0冊だったの読書量が、半年で少なくとも50冊は読んだ。

 

半年で少なくとも50冊は読んだ。うん、読んだ。なんだ。そう、始まりも終わりも唐突に現れるのだ。今回は前までのように徐々に無くなっていくのではなく、本当に唐突だった。何の前触れも無く、ブッツリと本の続きが読めなくなったのだ。先の展開に興味が沸かなくなったとか面白くない本だったとか、そういったものではなく、突然読めなくなったのだ。試しに他の本で試してみても全くダメ。数行読むだけで精一杯といった症状。多分、これだけはいつになっても原因は分からないままなんだろうな。

 

という、山あり谷ありな読書人生を送ってきた僕ですが、今月に入って森川智喜の新しい文庫が出たので買って読んだのだけど、割とすんなり読み進められ、数日前に読み終わったところなんだよね。そこでこれは……と思い、突然読めなくなった本を探すも見つからなかったので仕方なく数行読んでギブアップしたもう一つの本を読んでみたら読める読める。本当、なんだったんだろうあの症状は。心の病だったのかな? 分からないなあ。

というわけでまたもやブーム、というには早いかも知れないけどそれなりに読んでいるこの頃です。

ちなみに僕の読書スタイルは寝っ転がって仰向けに読むスタイルなので、ハードカバーだと重くて肩が痛くなるし、本を掴んでいる手がページを掴めずバララララーッと閉じられてしまうことが多いので読むのは専ら文庫です。いかにベストセラーになったものでも文庫になるまで待つのが習慣になってしまっております。

 

とまあ、思ったよりガッツリ書いてしまったわけですが。実はこの記事、書き始めてから完成するまで1週間くらいかかっているのです。そう、足の裏のお話と5万RTのお話を跨いで書かれたものなのです。その2つの記事を書いてる間も書こう書こうと試みたのですが、なぜか分からないけれど意識が途切れたんだよね~。話題が話題だけに呪われてるみたいで気味が悪いよね~。

そんな感じのオチです。

 

それでは。

 

便☆乗と5万リツイートされて分かったことのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

最近とある方の漫画がtwitterで話題(賛否両論)になり、その後にその作者が瞬く間に拡散されていった漫画についての漫画をもにょもにょっとしたことがきっかけでまた話題(否優勢)を呼んでいるわけですが。ええ、頭に「あれのことかな?」というのが浮かんでいれば間違いなくそれのはずです。

それを見て「おっ、これはバズった経験談をまとめる流れだな?」と思い、キーボードを叩いているのが何を隠そうこの僕というわけです。一言で言うならば便☆乗です。まあ、いつかまとめたいなと思っていたことなのでその時が来たのだと思っていただければ幸いです。投稿してからちょうど1年くらい経ったわけだしね。

 

さて、件のバズった経験というのはこちらです。

この記事を書いている時点では47,697RT、38,392いいね。タイトルに偽りあり!」と言われそうだけどキリもいいし、許してください。おおらかな心で四捨五入してください。そんなこのツイート。ツイートアクティビティをひらいてみればインプレッション(ユーザーがTwitterでこのツイートをみた回数)が5,307,872。前述の話題を呼んだタイトルが「100万人に読んで~」だったので、その言い方に倣えば「500万人の目に触れたツイート」と言えるわけですよ(前置きでぼやかしておきながら本題でタイトルを言ってしまったよ)。一応、画像のクリック回数も100万を超えておりまして、100万人が読んだと言えなくもないのですが、なぜ「500万人の~」としたのかというとインパクト重視です。だって500万人といえば福岡県の人口と同じくらいですよ。う~んいまいちイメージが沸かない。

 

ともあれ、それだけ多くの人の目に触れ、少なくとも5万人近くの人がリツイートしたわけなのですが、それだけ拡散されると所謂「クソリプ」がいっぱい来たんじゃないの? という疑問を持ってくれる方もいるでしょう。しかし、そんな期待を裏切るようで申し訳ないんだけどまったくと言っていいほどそういう類のリプライは来なかったんですよ。例えば非公式RTや引用ツイートで「ワロタwww」的なコメントを付けられたりは多々ありましたが、「つまんねーんだよドチクショウ死ね」だとか「こんなツイートが4万RT? まったく世も末だな」だとか「壁が薄いのは安倍の陰謀!」みたいな香ばしさ満点なコメントはほぼ無かったんですよね。これもひとえに僕の人望の成せる力でしょうかね! ああ、やめてください。空き缶や生ゴミを投げないでください。

しかし、無風状態だったリプライ欄とは裏腹に、勝手に(重要)取り上げられたハ○速のコメント欄は荒れに荒れていました。なぜか僕のLINEスタンプの宣伝ツイートまで一緒にまとめられたのが悪かったのか、「こんなクソみたいなのしか描けないなら漫画描くのやめちまえ」とかいろいろ書かれててね。なんか面白くなってすっごいニヤニヤしながら見たのを覚えています。

ということは、twitterって割と民度がいいんじゃないのだろうか。いやまあ、僕の目に着かないところでガンガン言われてる可能性は否定できないことこの上ないけどね。

あ、念のためにもう一度言っておきますが、○ム速にまとめられたのは勝手にされたことで僕のあずかり知らぬところで起こったことですからね。ステマじゃないよ! そもそもステルスしてないし!

 

次にこの漫画を描いた裏話的なものをひとつ。これは僕がまとめようと思うまで気が付かなかったんだけど、このお話ってけっこう本当にありそうなお話なんだよね。ありそうなお話なんだよねって言っちゃうとバレそうだからバラすけど、このお話は完全なフィクションです。もともとは僕が学生時代のお話で、隣の部屋から聞えてきたのは太鼓の達人ではなくスーパーマリオブラザーズのBGMだったんですよ。そこから「隣の部屋から聞こえてきたら一番面白いゲームBGM」というお題が僕の頭の中に放り込まれて、脳内大喜利大会が開かれた結果がこのお話なんです。

僕の中では最初の「これは私の友人が学生時代に体験した出来事です」というホラー作品にはお馴染み過ぎて胡散臭いほどの枕詞で作り話だと宣言した気でいたんだよね。いつかの怖い話のお話(浪漫と怖い話のお話。 - べっかん)でも触れたように、僕は怖い話の99%は「ただの作り話」と「幽霊の仕業にしてるけど突き詰めていけばちゃんとした理由がある話」の2つでできていると思っているから、そこ基準で考えちゃったけど、そりゃそうだよね。分かんないよねこれじゃあね。加えて主人公の早とちりによる勘違いというオチだしね。1年越しの反省。

 

しかし、それが功を奏したのかどうかは分からないけども、ここまで多くの人に拡散されたわけです。そして恥を忍んで言うけども、このツイートが拡散されたと見るやいなや僕という小民族はすぐに調子に乗って第二弾、第三弾を描いたのです(恥ずかしいのでここで挙げるのはよしておきます。暇な人はtwilogとかで調べてみてください。「怖くない」でサーチしたら一発)が、どちらも30RT程度しか伸びず「下手に調子こくもんじゃない」と赤面したことを昨日のことのように思い出してるわけなんです。いや、30RTでもありがたいことには変わりはないのですがね。

問題は何故ここまで差がついてしまったのかということですよ。この3つの漫画にどんな差があったのか。

それは第一弾が爆発的に面白かったんじゃねーの? と言われればそこまでなんですが、僕の中ではネタ的にそこまでの差があるとは思えないんですよ。確かに太鼓の達人という、ゲーセンに行ったことのある人なら間違いなく見たことあるであろうキャッチーな題材ではあったにしろそこまでじゃないだろうと。そこで、僕が考え出した圧倒的な差というのがこちら。

みんな、実話が大好き。ということです。

先に述べた通り、謀らずとも実話っぽい雰囲気が出てしまった第一弾に比べて第二、第三の弾はそれっぽくはあれど、現実味の無いオチで作り話というのが分かってしまうような内容だったのが大きな原因だったんじゃないかなあと、そう思うわけなんですよ。

所謂「創作実話」というやつですね。それが謀らずとも起きてしまった漫画だけが大きく取り上げられたのだと考えれば、なんとなく納得もできるんじゃないでしょうか。そりゃあ女子高生もマックで世の中の問題点について語り出すわけですよ。

 

まとめ。なんだかんだと言ってみたけれど、つまりはいろんな偶然が重なって伸びたんだなあ。と、さも他人事のように思っている僕です。

とまあ、いつもの倍以上の文字数になってしまったので、重要そうなところは柄にもなく太字で表しております。これだけ長いと、さすがにしんどいね。それでも3,000文字ちょっとということを考えると、47,000という数字がいかに凄いかが分かるよね(ここ一番のドヤ顔)。

……ちなみに昨晩からこのツイートがまた何故か伸びており、この記事を書いてるうちに47,912RT、38,574いいね まで伸びてました。な~んか凄いよね(やっぱり他人事)。

 

~追記~

午後9時を過ぎたところです。なんと昨晩からの伸びが伸びに伸びて遂に50,000RTを超えました。タイトルに偽りなし!!!

 

それでは。

 

ドントシンク、フィールとR-1ぐらんぷりのお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

観た? R-1ぐらんぷり。ねえ、これ感想とか書いたほうがいいのかな。だってあまりにも「ドントシンク、フィール」な内容であり結果じゃないですか。書けば書くほど逆にナンセンスでしょうこんなもんね。確かに、ザコシことハリウッドザコシショウが準決勝に上がってる時点で面白かったのに、更に決勝に上がって遂には優勝しちゃったんだよ? その事実だけでもう面白いよね。

これまでの14人の優勝者の中で明らかに異質。なにひとつしっかりしてない芸風。まさにキングオブあらびき芸。これ来年の出演者まで後を引きそうな勢いだよね。

 

今回のネタ自体はこそこそチャップリンで見たことがあったんだけど、その時の評価は30人中5人しか面白いという札を挙げなかった一般ウケは全然しなかったネタだったんだよね。しかもファーストラウンドでやったやばいサラリーマンのネタは、こそこそチャップリンで不合格になった後「まだ他にないの?」というフリに応えた際のネタで、そこそこウケも良かったんですよね。それをちゃっかり組み込んでるあたり抜け目ないよね。それでもこの大舞台と観客30人の舞台とでパフォーマンスが全く変わらないというのもすごいポテンシャルだと思いました。

それを調子に乗せると手がつけられないタイプというのが今回の優勝で分かっちゃったよね。というか、最終ラウンド最後の古畑任三郎のモノマネというフリップが出た時に「おぉ~」という歓声と拍手が沸いてたところを見ると、割とウケる土壌は出来上がってたのかも知れないね。

それとネタ順も良かった。完全にAブロックの芸人が前座になってしまってたもんね。加えておいでやす小田とのネタ順が逆だったら空気も違っていたかも知れないしね。それを考えるとおいでやす小田はよくやったよね。来年に期待したいですね。ヒューマン中村的な活躍を。

 

ちょっとザコシから離れようか。エハラマサヒロ横澤夏子ゆりやんレトリィバァ辺りは安定したネタで安定した笑いを得ていたね。厚切りジェイソン、とにかく明るい安村、マツモトクラブの2年連続組はやはりインパクトに欠けたかなと。やはりキャラクターやネタのインパクトが強いほうが評価されやすい賞レースにおいて、連続出場するとなると常に新しくしていかないといけないのかな。それを考えると小島よしおのネタなんかはもう見飽きたと言ってもいいほどのネタが一周回った上に新たな進化を見せてくれて大健闘だったよね。あとは……そうね、サンシャイン池崎は見れてよかったよね。イェーイ!!!

 

ともあれ、全体を見渡してみればここ数年で一番面白かったR-1だったんじゃないでしょうか。レベル的にというよりも、ザコシや小島よしお、サンシャイン池崎など何も考えなくていい部類の笑いの芸人が勢ぞろいで、そうだね面白いというよりかは楽しかったですね。あと司会の宮迫が恒例の「何やってんねんアイツ。……あーおもしろ」が今年も炸裂してましたね。

えーとりあえず、ピエール瀧のしょんないTVでどんなイジられ方、もしくは歓迎をされるのか。そのあたりに期待しておきましょうかね。

 

それでは。

 

画期的な方法と足の裏のお話。

 

やあ、ヤマグチジロウだよ。

 

最近手指に傷が絶えなくてね。でも別に水仕事して手が荒れたとかではなくて、ここ最近で自転車出す時にぶつけたり紙でスッと切ったりなんか知らないけどいつの間にか傷ができてたりでそうなってるんですよね(むしろいくら水仕事をしても手が荒れない鉄壁の肌が自慢です)。

今年の初詣で引いたおみくじの病気の欄に「重症だが治る」という、「いい話と悪い話があるんだ、面倒だから一気に話すぜ」と言った後の言葉のようなことが書いてあったので細かいことが重なってもちょっと不穏です。

そういえばその自転車出してる時に気づいたんだけど、自転車のチリンチリンが無くなってたんですよね。別に盗られたとかじゃなくて明らかに根元から折れた感じで。なので僕のチリンチリンになってくれる人を現在募集中です。

 

手指のついでで思い出したというか、ほぼ関係ないけど同じ人体の末端ってところで処理してもらいたいんだけど、人にはいろんな恐怖症があるよね。高所恐怖症だったり閉所恐怖症だったり先端恐怖症だったり。僕にもひとつ、恐怖症とまではいかないんだけどひとつあって。それが足の裏なんだよね。足の裏を向けられる少し「うぇっ」となってまともに見られないという感じ。ネットで検索してみるとメジャーとはいかないまでも、同じ症状の人はちらほらいますね。

これ割と最近気づいたことで、むしろみんなそうだと思ってたわけで。例えばあぐら組んで隣に人がいるケースなんかでは手で隠して見えないようにするのがエチケットみたいな風に過ごしてたんだけど、よくよく考えてみれば「あれ? 僕だけなのかな?」と思い、それが自覚の第一歩でした。

 

 

それで、どのくらいの症状なのかといいますと。

  • 人に向けられると不快で自然と目を背けてしまう。
  • 自分のものでも少し不愉快である。
  • 靴下で覆われていると多少は和らぐが、所詮多少である。
  • 靴までいくとまあまあ大丈夫である。
  • 猫の肉球は好き。
  • 猫超好き。

とまあ、ざっとこんな感じですかね。もちろん写真や絵でも無理で水虫のCMなんかは地獄だし、たまに靴下履いてる絵なのに足の指ビッシリかたどったような描きかたをしてる人の絵を見ると「余計なことをしやがって!」とプンスカしてしまう自分がいるのです。なんなんだろうね、あれね。そういうフェチなんですかね。

 

そもそも足の裏って言い方も僕はどうかと思うんだよね。この際だから憎さ爆発でいきますよ。だって裏だよ裏。ダークサイドじゃん。それ嫌われにきてるじゃんかと。手の甲の裏側は手のひらなのに足の甲の裏側はそうじゃないってねえ、もう言葉の時点で僕らを蝕み始めてるじゃん。多分この名前を付けた人も僕と同じ症状だったに違いない。「馬鹿野郎、そっちは裏側だ! 気をつけろ!」と僕らに警鐘を鳴らしてくれていたに違いない。

 

ところで今回やけに赤いなと思った方も多いと思うけど、これは赤い下敷きで隠すと今回の僕の言いたいことが手に取るように分かる画期的な方法を取り入れてみたよ。でもこれありきで文章考えて組み替えるの意外にめんどくさかったから多分二度とやらないと思うよ。しかしこれ、最初のほうで手の傷の話してるから謎の痛々しさがあるよね。まあ許してくださいよ。これ書いてる間、僕もけっこう気分悪かったんだから。

 

それでは。